実践記

30手前で未経験からウェブデザイナーを目指した話とその後

 

 

事務職からウェブデザイナーへ:30歳手前の転換点

2010年頃、世間はまだガラケーが主流で、人々がインターネットに触れるのはもっぱら自宅のPCからでした。

YouTubeは人気を博し始めていましたが、スマートフォンは一部のガジェット好きが使う「新しいおもちゃ」といった位置づけ。

誰もがポケットに小さなコンピュータを持ち歩き、SNSで日常を発信するようになるなんて、まだSFの世界の話のように思えた時代です。

しかし、そんな過渡期のインターネットの可能性に、私は一筋の光を見出していました。

当時、私は30歳を目前に控え、いくつかの会社で事務職を経験してきましたが、どれも「つまらない」という漠然とした感情が拭えませんでした。

そして何より、その当時勤めていた会社での日々は、地獄のようでした。

社長からの罵詈雑言や人格否定は日常茶飯事。今でいうパワハラが横行する環境で、私の心は常に鉛色の空の下にあるようでした。

このままではいけない。

誰にも奪われない「手に職」をつけたい。

そう強く願う中で、私の目に飛び込んできたのが、キラキラと輝くウェブサイトの世界でした。

インターネットの黎明期からブロードバンドが普及し始めたこの時代に、きっとウェブデザイナーという仕事は「なくならないだろう」という、漠然とした確信がありました。

そして、何よりもクリエイティブな仕事への「ちょっとしたキラキラ感」に強く惹かれたのです。

事務職のデスクを離れ、新しい世界へ飛び込むことを決意した私を待っていたのは、半年間という期限付きのウェブデザインスクールでした。

しかし、そこで私が最初に直面したのは、デザインスキルを学ぶことよりも、むしろ自分自身との、そして「めんどくさい」という感情との戦いでした。

半年間のスクール生活:見えない敵との戦い

スクールでの学習は、基本的に動画コンテンツが中心でした。

広々とした教室には、私と同じようにキャリアチェンジを目指す人々が黙々とPCに向かい、それぞれのペースで動画を視聴し、課題に取り組んでいます。

自分のペースで進められるのは一見すると理想的な学習環境です。

しかし、これがまた「めんどくさい」という私の内なる敵を増長させる原因にもなりました。

「明日やればいいか」「今日は疲れたから少しだけ見て終わりにしよう」。

そんな誘惑が常にささやき、自分のペースで進められるがゆえに、学習計画はたびたび遅延しました。

半年という在籍期間は決まっているものの、理論上は詰め込んで3カ月で終えることも可能でした。

しかし、そんなストイックな学習は私には到底無理でした。

課題提出の締め切りが迫り、焦りを感じてようやく重い腰を上げる、そんなことの繰り返しでした。

もちろん、わからないことがあれば講師に質問できる環境は整っていました。

しかし、根っからの人見知りである私は、なかなかそのチャンスを活かせませんでした。

他の人が次々と質問をしているのを見ては、「こんな初歩的なことを聞いたら恥ずかしいかな」「もう少し自分で調べてからにしよう」と、結局は疑問を抱えたまま、動画の続きを再生することもしばしばでした。

それでも、スクールに「通う」という行為自体が、私にとっては小さな強制力となっていました。

面倒だと感じながらも、自宅を出てスクールへ向かうこと。

そして、周囲の人が黙々と学習している空間に身を置くことで、何とか「私もやらなくては」という気持ちを奮い立たせていました。

そうして、一つひとつの課題をクリアしていくたびに、わずかながらも達成感を感じ、それが次のステップへと繋がる原動力になっていたのです。

卒業、そして予期せぬ転機

スクールでの半年間を何とか乗り切り、卒業が間近に迫った頃、私はぼんやりとスクール内に貼られたウェブ業界の求人募集の張り紙を眺めていました。

「こんなペーペーの自分が、本当にウェブデザイナーとして就職できる場所なんてあるのだろうか?」——

そんな漠然とした不安がよぎり、結局、応募することはありませんでした。

そのままスクールを卒業し、さてこれからどうしようかと途方に暮れていた矢先、私の人生を大きく揺るがす予期せぬ事件が起こりました。

ある朝6時、けたたましい父からの電話で目が覚めました。祖父が亡くなった、と告げられ、私は跳び起きるように布団を飛び出し、実家がある青森へ向かいました。

幼い頃から大変可愛がってくれた祖父には、深い思い入れがありました。
葬儀を終え、気づけば会社を一週間も休んでいました

会社側は、祖父母の葬儀であれば通常3日程度で復帰するものと考えていたようで、なかなか戻らない私に不信感を抱いていたようです。

まだ悲しみに暮れる私に対し、会社が向けたのは、
「実家で仕事探しをしてきたのではないか?」
「このまま会社を辞めるつもりなのでは?」
といった疑惑の言葉でした。

確かに、この会社を辞めたいという気持ちはありました。

しかし、祖父の葬儀のために帰省していただけなのに、なぜこんな言葉を投げつけられなければならないのか。

これまで積み重なってきた社長のパワハラ、そしてこの期に及んで私を疑う会社の態度に、もう我慢の限界でした。

話し合いの場で、私は思わず叫んでいました。

「このまま辞めます!」

こうして、私は図らずも、長年勤めた会社を飛び出すことになったのです。

未経験からの第一歩:喜びに隠された現実

会社を飛び出し、私がまっ先に始めたのは就職活動でした。
当然、目指すはウェブデザイナー。

しかし、未経験者にとってその道は想像以上に厳しく、片っ端から応募するも不採用の山でした。

そんな中で、ようやく唯一採用してくれた会社にたどり着きました。提示された内容は「事務職兼ウェブデザイナー」。

それでも、「ウェブデザイナーとして就職できた!」という喜びが、当時の私には何よりも大きかったのです。

しかし、その会社は純粋なウェブ制作会社ではありませんでした。

むしろ、少し特殊な会社で、業務内容は文字通り半分が事務、そして残りの半分が「ウェブデザイナーっぽい」仕事でした。
「っぽい」というのは、すでにウェブサイトの型が決まっていて、私の仕事はそこに画像をはめ込んだり、文章を書き換えたりする程度だったからです。

期待していたようなクリエイティブな作業はほとんどなく、一からウェブサイトを構築するような機会もありませんでした。

社内にはウェブサイトに詳しい人もいましたが、バリバリの現役ウェブデザイナーというわけではなかったので、専門的な知識や技術を深く教えてもらうことはできませんでした。

自分がスクールで学んだ知識を活かせる場面も限られ、このままウェブデザイナーとして成長できるのだろうかという悶々とした日々を過ごすことになりました。

憧れと期待を胸に踏み出したはずの一歩は、想像とは少し違う現実を突きつけてきたのです。