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当サイトを運営している私ナオミは、40歳で在宅ワークをスタートし、1年後の2025年12月に副業在宅ワークで月収20万円を達成するべく奮闘している独女です。
この記事では、学生時代は成績優秀で引っ込み思案な自分が、10回職場を変え、最終的に出した答え、
「この先は会社に雇われずに生きていきたい」
という思いを胸に、副業在宅ワークをスタートするに至るまでの半生を書き綴りました。
お時間があるときに読んでもらえるとうれしいです。
幼少期〜高校時代:成績は常に上位な優等生時代

私は青森にあるリンゴ農家の三姉妹の次女として誕生しました。
家のとなりは見渡す限りの田んぼ、とリンゴ畑。
メジャーなお出かけスポットはイトーヨーカドーかジャスコ(現イオン)。
そんな田舎ですくすく育ちました。
子供のころは引っ込み思案で主張が少ない性格で、常に2歳上の姉についてまわっていました。
姉が通っているからという理由でそろばん塾に通い、姉と同じ高校に入学し、姉がいるから合唱部に入部。
ただ、成績は優秀で小中高のテストは常に上位。
テストが近づくと、きっちり2週間前から勉強計画を立てて取り組んでいました。
「勉強すればその成果がしっかり返ってくる。勉強って楽しい!」
そう思っていたので、勉強はまったく苦ではありませんでした。
高校は進学校だったため、大学進学は当たり前だと考えていたのですが、大学受験を目前に、とある思いから、勉強意欲が低下し始めました。
大学受験に失敗、適当な大学に進学

大学受験が目前に迫っていた高校3年生の秋。
通っていた高校は進学校だったため、まわりは大学進学一択。
私も大学進学に向けて受験勉強を頑張っていたのですが、
ふと、
「私は何のために大学に行くんだろう?」
という思いが頭をよぎりました。
勉強は好きだけど、特にやりたいことがない。
なりたい職業もない。
「とりあえず大学に行ってみれば何か見つかるのかもしれないけど、そんな気持ちで大学に行ってもいいのだろうか?」
そんなことを思い始め、
「今やっている勉強は何のためなんだろう……」
そしてもうひとつ、家の経済状況の不安がありました。
当時、姉が東京の私立大学に進学し、一人暮らしをしていました。
私立大学の学費は高いというのは知っていたし、一人暮らしだから絶対仕送りをしているはず。
当時の実家は日本昔話に出てくるようなオンボロで、茅葺屋根で木板の壁。
床は傾き、ビュービューすき間風が入る。
時々シャンプーを薄めて使うこともしていたし、毎年冬は父親が出稼ぎにいっている。
絶対裕福なほうではない。
姉はしっかりと目的があって大学に行っているのに対し、私は目的もなく大学に行く。
親に無駄なお金を使わせてしまうのではないか…
そんな気持ちが募っていき、だんだんと勉強に身が入らなくなっていきました。
就職という選択肢もありましたが、「就職する」といえば、きっと親や先生、友達に驚かれるし、そもそもまわりと違うことを選択できない自分がいる。
でも「大学進学して田舎から出たい!!」という気持ちもありました。
大学に行く目的はまったく見出せないけど、地元で就職もしたくない。
そんな気持ちでセンター試験(現:大学入学共通テスト)を迎えました。
当時のセンター試験(現:大学入学共通テスト)は、数年で問題形式が切り替わる風習があり、ちょうど私が受けた年が問題形式がガラッと変わるタイミングでした。
なので、これまで繰り返しやってきたセンター試験の過去問と全然違う形式でパニック。
目標としていた点数が取れず、目指していた大学から、とにかく合格できそうな大学へ変更せざるを得なくなりました。
地元の大学にも合格できたのですが、
「絶対田舎から抜け出したい」
これは絶対達成したい。
なので、学費が比較的低い国立大学で学生寮がある、北関東の大学に進学しました。
まったく想像していなかった展開に落ち込みながらも、新天地への期待に胸を膨らませてもいました。
ちなみに、大学費用は1年生後期から卒業まで学費免除制度の対象となり、学生寮は月額7,000円という激安だったので、仕送りを1円ももらうことなく大学生活を送れたのはよかったと思っています。
就活に絶望

大学は適当な気持ちで入学したので、勉強に一切興味がなくなり、とりあえず単位を落とさない程度にこなす日々。
そして、大学以外の時間はアルバイトにフルコミット。
時給750円だったにもかかわらず、月10万円以上稼ぐという、とんでもない時間をアルバイトに費やしていました。
それなりに学生時代を謳歌しつつも、あっという間にやってきた就活。
テキトーに過ごした大学生活だったので、やりたいことも行きたい会社もなく、とりあえず片っ端からエントリー。
当然いくつも会社を落ちまくり、
「自分はどこにも就職できないかもしれない…」
という焦りと絶望感を感じていました。
だからといって、何かを変えるわけでもなく、自分のダメなところから目を逸らし続けながら就活を続けていました。
いちおう東北地方の企業から内定をいただけたのですが、
「やっぱり田舎に帰りたくない!とにかくどこでもいいから東京で働きたい!」
そしてとうとう、金融業の営業職に内定!
やったー!これで晴れて東京でOLだ!と喜んでいたのもつかの間……波乱の社会人生活の幕開けとなるのです。
ブラック企業からスタートした社会人生活

新卒で入社した金融業の営業職は怒涛の1ヶ月勉強合宿からスタート。
朝6時起床、ランニングからの勉強、チーム戦スポーツからのまた勉強、夜11時就寝。
スポコン並みの体育会系合宿を経て、東京のとある支店に配属されました。
やっと社会人らしい生活が始まる!と思っていたら、朝6時半出社で電話営業を1日300件。
むりやりとったアポイントを訪問し、アポイント後はその周辺を飛び込み営業。
唯一の休みである日曜日は、ひたすら泥のように眠る……。
そんな生活を続けられるはずもなく、1年で退職。
その後は、派遣社員として職場を転々とするようになります。
なりたかった職業になれたのに生活苦

派遣事務として働く日々は、前職の怒涛の営業職が幻だったんじゃないかと思うほど穏やかでした。
しかし、だんだんと穏やかな日々も退屈になってきて、
「このままでいいのだろうか?」
と思い始めました。
まだ若いんだし、挑戦してみよう!
と思い立ち、目指すは子供のころ憧れていた「添乗員」と決め、夜間スクールに通うことにしました。
2ヶ月ほどで卒業し、晴れて添乗員に転職しました。
「これからいろんなところに行けるぞー!ゆくゆくは海外にも行けるのでは?」
なんて夢を見ていましたが、現実はそう甘くありませんでした。
添乗日は朝6時集合、夜9時10時解散。
添乗日以外の日は経費精算や次回の添乗の打ち合わせ。
そして雇用形態が日雇いだったので、添乗に出る日しか給料が発生しない。
さらに閑散期と繁忙期があり、収入が不安定。
繁忙期でも生活がギリギリの収入で、他にもバイトをしないと生活が成り立たない。
「憧れてた仕事に就いたのに、こんなにツラいなんて…」
いろんな場所に行けることは本当に楽しかったものの、体力的にも精神的にもツラすぎて1年も経たず辞めてしまいました。
そうだ、ウェブデザイナーになろう

それからまた派遣社員の事務職として働く日々に逆戻り。
そんななかで、とある会社で仕事ぶりが認められ、派遣社員から正社員になることができたのです。
しかし、その会社の社長が宇宙人。
少しでも気に入らないことがあると、人格否定の罵詈雑言。
立たされたまま説教2時間。
罰として給料カットが日常茶飯事。
1年経つと社長の宇宙人ぶりにも慣れてきたものの、
「こんな会社に慣れてきている自分がやばいし、こんな会社にずっといられるわけない」
そう思い転職を考えるも、かといってまた事務として働くのはつまならそう……
「そうだ!ウェブデザイナーになろう!」
当時広がりつつあった職業、ウェブデザイナー。
手に職だし、これから食いっぱぐれることはないだろう!という目論見でさっそくパソコンスクールへ入会。
仕事をしながら通い、半年ほどで卒業。
晴れてウェブデザイナーとして転職することに成功しました!
先輩Yさんの裏切り
ウェブデザイナーになってから2社目の時、先輩Yさんからこんなお誘いがきました。
「独立するから仕事を手伝ってくれない?」
Yさんは、ウェブデザインについていろんなアドバイスをくれたり、プライベートでも一緒にご飯を食べに行ったりとすごくお世話になっていました。
さらにYさんは、会社に内緒で副業をしており、その疲れから仕事中に眠りこけていたこともありましたが、当時ダブルワークをしている人は誰もいなかったので、
「2つの仕事をこなしているなんてすごいなー」と尊敬していました。
そして請け負いきれない副業案件をたまに手伝ったりすることもあり、お金の面でもとても助けられていました。
そんな背景もあり、先輩の独立のお誘いを二つ返事で快諾。
「これで自分もフリーランスのウェブデザイナー!楽しくなりそう!」
と胸を躍らせて退職届けを出しました。
ところがフタをあけてみたら、
Yさん「なんか自分一人でさばける仕事量だったわ(笑)」
「ええーーーーウソでしょ!?退職しちゃったんですけど???」
結局、私に仕事がくることはなく、Yさんからの連絡は途絶えました。
当時働いていたホームページ制作会社は、契約社員として働いており、残業が2〜3時間あっても月22万ほどという安月給。
繁忙期はさらに残業が増え、帰りが22時回ることもしばしば。
そんな状況に戻りたくない……。
かといって、フリーランスになれる自信もない……。
「これからは決められた時間でキッチリ帰れる派遣社員にしよう!」と思い、再び派遣社員として働くことにしました。
派遣社員は気楽だけど…

派遣社員としてのウェブデザイナーは給与面も勤務時間も自分なりに満足していました。
時間通りに帰ることができ、給与もまあまあ良い。
「あーなんて穏やかな日々なんだろう」
と派遣社員生活を満喫していたのですが、また心境の変化が現れます。
それは、業務範囲に制限があることに対しての不満。
派遣社員は業務範囲はここからここまでと決めらていることが一般的です。
最初は「気楽でいいや♪」と思っていたのですが、たまにまったく仕事がないことも。
仕事がなくてもお金がもらえるんだからラッキーなのでは?
と思い直すも、だんだんと物足りない感覚になってきたのです。
決められた範囲のことしかできない。
決められた以外の仕事に挑戦することができない。
毎日同じことをする日々。
「このままただ時間を浪費していくの?年をとったその先はどうなっていくんだろう……」
そう思い始め、
「やっぱりもう一度正社員になろう!」
そして正社員になるべく転職活動を始めました。
正社員になったのに……

正社員として就職した10社目の会社では、ウェブディレクターとして転職しました。
この会社で10回目の職場だから、できるかぎり長く働こう、と最初は思っていました。
ウェブディレクターとしての仕事は初めてだったので、失敗もありましたが、順調にキャリアを積み上げていけるかもと思っていました。
しかしまた、新たな壁にぶち当たるのです。
それが「仕事量が増えても収入が上がらない問題」と「社長の鶴の一声でやったことが無にされる問題」。
入社した会社は社員20名ほどの小さな会社で、社員同士の仲もよく働きやすい職場ではありました。
仕事に慣れてくると案件をどんどん任され、だんだんと毎日残業しなければならなくなってきました。
小さい会社なので、採用業務などウェブディレクター以外の仕事もこなさなければならず、仕事量はどんどん増えていく。
なのにまったくあがらない給料。
そして、なんか毎年誰かしら辞めては入社している……。
原因は主に社長で、社長とウマが合わない人は辞めていき、のらりくらりかわせる人は生き残る、そんな空気感でした。
自分も社長のめんどくさい案件をかわす技術を身につけなければいけないの?
正社員になったら、スキルアップして、その分給料もアップしていくのかな、と思っていましたが現実はそうでもない………。
そう感じていたころ、世界を震撼させたコロナが広がっていきました。
リモートワーク最高!
コロナが流行し、出勤停止。
仕事は完全リモートワークになりました。
幸いインターネットがあれば仕事ができる業種なので、仕事への支障はほぼありませんでした。
そして、気づいてしまったんです。
リモートワークが最高だということを!
通勤なし、無駄話しなくてよし、電話対応で作業が途切れることもなし。
快適すぎる。
このまま在宅ワークだったらいいのに……
そうこうしてるうちにコロナがだいぶ落ち着いてきて、そろそろ出社を週2くらいしようかという話題が持ち上がりました。
「え、完全リモートワークができるのに、出社する意味あるの?」
出社に対して猛烈な拒否感を覚えるとともに、今までの会社に対する募ったうっぷんから
「辞めます!」
と次の就職先も決めずに辞めてしまいました。
オンラインスクールとの出会い

会社を辞めた後は、また会社勤めしてもまたこれまでと同じように、
- 派遣社員は給料は安定するかもしれないけどスキルアップはなさそう
- 正社員は給料や人間関係の問題がまた発生しそう
そう考え、とりあえず事務のアルバイトを始めました。
すると持っていたウェブスキルが重宝され、ウェブサイトの修正などを任されるようになりました。
自分の持っているスキルが活かされてうれしい反面、アルバイトなので当然給料は低い。
ここでやっと、会社で雇われるならどこかで不満と折り合いをつけていかないといけない。
スキルアップしながら給料も上がる世界にはたどり着かないんだと実感しました。
この先どうやって働いていったらいいんだろうと考えていた時、リモラボというオンラインスクールに出会いました。
リモラボはSNS運用代行やオンライン秘書といった在宅ワークができるスキルを学ぶことができるスクールで、
「これまでのウェブデザインのスキルをインスタ運用代行で発揮すれば、会社に雇われ続ける未来を変えることができるかもしれない」
そう思い、リモラボ入会を決意。
入会して3ヶ月後にインスタ運用代行の案件を獲得することができたのです。
自分で稼いで生きていけるかもしれないという一筋の光を見出しました。
そして、さらに上のレベルにいきたいと感じ始め、現在ウェブマーケティングを学んでいます。
さいごに
いろんな職場や職業を経験し、紆余曲折しましたが、それを体験したからこそ、本気で自分で稼げる様になりたいと思えるようになりました。
そしてリモラボに入会したことで、「雇われて稼ぐこと」と「自分で稼ぐこと」の違いを理解し、結局は自分次第なのだということも感じています。
これをキッカケに、今からでも遅くない!40歳からでも未来を変えられる!
その証拠を残すためにもこのWebサイトに実践したことを書き残していきたいと思います。
目標である副業在宅ワークで月20万円を目指している途中ではありますが、今後の行方が気になった方は是非このブログをのぞきにきてもらえるとうれしいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。